芸術性理論研究室:
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12.01.2005

FAQ1
研究内容以外での良くあるご質問にお答え致します。

 
Q_01. 美術批評は行わないのでしょうか?
Q_02. 美術界には戻らないのでしょうか?
Q_03. 出版の予定はありますか?
Q_04. 今の美術界をどう思いますか?
Q_05. 教育に興味はありますか?
Q_06. この10年間なにをしていたのですか?
Q_07. 専攻はなんですか?
Q_08. 長論は書かないのですか?
Q_09. 開設者略歴の3ページ目の文は何ですか?
Q_10. キリスト教信者なのですか?
Q_11. メタフォースの意味は何ですか?
Q_12. 芸術性の英訳が間違っていますが?
Q_13. コピーライトが打消されているのは何故ですか?
Q_14. 無政府主義者なのですか?
Q_15. 『過去の作品』の下段にあるテクストのタイトルの意味は何ですか?
Q_16. なぜ"ayanori[高岡 礼典]"と表記するのですか?
Q_17. 人文学の専門教育を受けたことはありますか?
Q_18. 専門に研究している学者はいますか?
Q_19. オリエンテーションはないのですか?
Q_20. 過去のレポートにコメントしても良いですか?
Q_21. 今後の研究予定はどうなっていますか?
Q_22. 哲学を学ぶには何を読めば良いですか?
Q_23. トレードマークの意味は何ですか?
Q_24. マークやロゴがあるのはイコノクラズムに反していませんか?
Q_25. 「〜」について論じてほしいのですが?
Q_26. レポートの英訳はないのですか?
Q_27. 学会には属していますか?
 
 
Q_01.美術批評は行わないのでしょうか?
A_01.
行いません。 当研究室は芸術家が自らを芸術家として、人が自動的に自己を描き出す局面を研究域とした自己創造の理論構築を眼目としています。それは全ての原因の原因や責任を請け負う態度をとることを意味します。

口火を他者に委ね求め、他者そのものを知ることもないままに、他者を判断したり、なんらかの価値を与えてしまうような他者創造の場ではありません。如何様にも言える局面は本来、学問の対象ではありません。

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Q_02.美術界には戻らないのでしょうか?
A_02.
戻りません。 そもそも初めから美術界などといった第一原因的な場など存在していないので戻りようがありません。媒体が変わったに過ぎないことを理解して頂きたいと思います。

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Q_03.出版の予定はありますか?
A_03.
ありません。 当HPは研究の場であることを再度確認して頂きたいと思います。出版レベルとは既に終わってしまったものの中で、その時代に都合の良いものだけを摘み取ったものです。今まさに産まれるか産まれないかの局面にこそ学問や芸術の真にアバンギャルドな醍醐味があります。それをぜひ味わって頂きたいと思います。

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Q_04.今の美術界をどう思いますか?
A_04.
俗にいうような美術界を「美術界」というのなら、今も昔も知的弱者が相互に慰め、騙し合う場にしかなっていません。もしくは単なる「やり逃げ」の集いにしかなっていません。そのような「人」や『人類』を侮蔑したようなものに何の魅力も感じません。

また「如何に表現するか(HOW)」しか扱わないような場へ総合・学際的な態度をとらなければならない学問が介入する必要や意義を感じてはいないので特別な回答の言葉はありません。

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Q_05.教育に興味はありますか?
A_05.
一般的な「教育」理解は理論上不可能なことですので興味があるとは言えません。ただし現行の教育を自律性の契機の提供といった「研究」へと定義を更新し、風穴をあけるということでなら少なからずあると言えます。教授や講師による一方向的なパフォーマンスは無に帰すべきです。

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Q_06.この10年間なにをしていたのですか?
A_06.
当研究室HPを開設するために西洋思想を中心とした基礎研究を行っていました。

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Q_07.専攻はなんですか?
A_07.
通俗的に回答するなら、大学ではグラフィックデザインに籍を置き、総合的なアートを自己の研究域としていました。そこでは科学的行為の限界を嫌というほど経験し、態度を改めることにしました。

研究レポート等をご確認して頂ければわかるように、現在は古典観念論やスコラ的思想に積極的に拘泥することによって現代思想の強度向上を目論んでいます。なので平易にお答えするのならば哲学(理論系)になります。

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Q_08.長論は書かないのですか?
A_08.
当研究室HPではレポートを10〜15枚、コラムを2〜3枚程度に設定しています。これはWebサイトで一般ユーザーが最後まで判読可能な文量として独断で決めたものです。また多くの冗長な表現は論点がぼやけ、明確性に欠けてしまいます。特に定義の定義の定義の………定義をしていかなければならないような学術論文では小論であろうと判然としなくなる傾向があります。公開する意味がなくなってしまうようなことは本意ではないので避けなければならないと思っています。なので今後も量より質を重んじる態度を維持していきます。宜しくお願い致します。

「x」を説明するにもっとも普遍的な文とは「xはyである」になります。

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Q_09.開設者略歴の3ページ目の文は何ですか?
A_09.
このサイト内に極私的なものがあるとすれば、そのページになると思います。"takita tetsuharu"とは私の大学時代の恩師である瀧田哲治先生であり、現代技術を駆使したアートの嚆矢のような方で、80年代はじめに脳波を検出し作品へ入力するようなインタラクティブアートを先取るような活動をされていました。ですが2004年4月30日に亡くなられ、そのページは故人への想いになります。命日を数えるごとに二重短剣符がひとつ増えていきます。

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Q_10.キリスト教信者なのですか?
A_10.
違います。 若い頃はアンチクリストでしたが、現在は基本的な学問態度であるトランスクリストです。当研究室がキリスト教神学を研究域に含んでいるからといって洗礼を受けているわけではありません。それは西洋思想を理解するうえで欠かせない知識であり、またスコラの理論から「神」などといった絶対のドグマを斬首するだけで現代システム論へ十分に応用・適用可能であると踏んでいるためです。

宗教と学問の区別を期待します。

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Q_11.メタフォースの意味は何ですか?
A_11.
それは純理的な『力』それ自体を意味する造語ですが、「メタ力」と述べているので定義することなくある程度は理解して頂けることと思っております。力の行使や力による干渉を称揚しても人は空虚であるという意があります。"POWER"といった外延化された力は自己の身体と同じように両義的で把捉不可能なものです。"metaforce"とは内包された自己の第一動因を意味する理想的な言葉になります。詳しくは『序文_誘因』をお読み下さい。

なお一般的に不可視の力は"force"ではなく"POWER(神)"で代表するかと思いますが、当研究室HPでは人に妥当するものとして"force"をあてがい、"POWER"には捏造された暴力性のあるもののみを配分しています。

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Q_12.芸術性の英訳が間違っていますが?
A_12.
ご指摘のように「芸術性」の英訳は"artistry"を用いるべきであり"artonomy"とは表記しません。それは"AUTONOMY(自律性)"をアナグラムした造語であり『芸術律』といった意味を込めています。当研究室HPでは「芸術性の理論構築」を行う場であるので、一般的にいう不明確で空想めいた「芸術性"artistry"」などといった言葉は使用できません。

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Q_13.コピーライトが打消されているのは何故ですか?
A_13.
当研究室HPは基本的に著作権の主張を致しません。詳しくはこちら『基本情報』の『著作者人格権について』以下をご覧下さい。

HTMLが学術論文を広く公開・共有できるように開発されたように学問分野において著作権を主張することはナンセンスなことだと考えています。もし仮に完全な著作権というものがあり、自己の作品が完全保護されたとしたら、学問だけでなく人の営為のすべてが萎縮し、文化向上などなかったことでしょう。日常口にする言葉ひとつをとってみても自分で作り出したものではないのです。作品とは他者への教材であるべきです。著作権を主張して他者の行為範囲を狭めても文化貢献とは言えません。自己の生が他者の自由を奪ってしまうことから脱却しなければ、私たちは歴史の裏側へ意義あるものを忘却し続けることになるでしょう。

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Q_14.無政府主義者なのですか?
A_14.
違います。 社会や法の内容について批判することはありますが、それらを形式概念のレベルから排撃するような無政府主義者ではありません。古典的で閉塞したシステム論を展開しているからといって人の社会性を否定したことは一度もありません。アナーキズムとアンチズムは意味が異なるものです。

また既存する政治・経済思想には一切属しておりません。特定の政治団体へ所属する予定はありませんし、経済概念自体に懐疑的なので経済理論を展開する予定もありません。

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Q_15.『過去の作品』の下段にあるテクストのタイトルの意味は何ですか?
A_15.
小文字』とはラカン心理学における「大文字の他者」というタームに対抗したものです。「大文字の他者」とは乱暴に説明すれば他者一般といった類的な普遍概念を意味しますが、その箇所で用いている『小文字』というタイトルは、社会的なパーソナリティーを「大文字の自己」、自己の原的な自我レベルを『小文字の自己』とした対関係を背景にしています。私が美術活動期を"AYANORI"として、現在の理論研究期を"ayanori"として表記している理由は実践と理論へと挑む際の基本的な態度を端的に表現したものになります。

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Q_16.なぜ"ayanori[高岡 礼典]"と表記するのですか?
A_16.
いずれ中間報告でふれることがあるかもしれませんが、述べるまでもなく「姓」とは支配・統合構造を構築するためにもうけられたものであり、本来不必要なものです。個それ自体を表すために出自の符号を冠する必要性はどこにもありません。芸術の独自性・第一性を強く押し出すために美術期は「名」だけを名のっていましたが、現在は現象学的還元を模した反省的な主張を意味するかたちをとっています。括弧入れされた本名が他者の言葉であり、小文字の名が自己の言葉(主張)になります。

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Q_17.人文学の専門教育を受けたことはありますか?
A_17.
ありません。 大学で一般教養レベルの講義を受講したことはありますが、それにも満たないお粗末なものでした。私にとって直接の師と仰げる方はひとりもおりません。どの分野でも同じことですが、学問とは独学の世界です。勉強しようと思えば何でも学べる時代において、そのような権威主義にとどまることに意義はありません。

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Q_18.専門に研究している学者はいますか?
A_18.
おりません。 特定の誰かを専門として研究するような態度は持ち合わせていません。智は利己的に連なるものなので、体系的に学ばなければ意義を見出すことはできません。

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Q_19.オリエンテーションはないのですか?
A_19.
初心者を丸め込むような誘い水を用意する予定は今のところありません。くりかえしますが当HPは教育ではなく研究の場ですので、追従ではなく対抗を期待しています。

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Q_20.過去のレポートにコメントしても良いですか?
A_20.
歓迎致します。当研究室では普遍概念に属するもののみを議題にしていますので、レポートだけではなく過去のコラムに対しても反論や疑義、ご質問を受け付けております。宜しくお願い致します。

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Q_21.今後の研究予定はどうなっていますか?
A_21.
当面の間は現代システム論において揺らぐことなく定理とされた命題群へ素朴な疑義を撃ち込むことによって、忘れかけた公理の再確認に努めます。それは一見すると古典の異文のように見えるかもしれませんが、古典と現代の止揚に徹しますので、妥当な段階へとひとつ更新された芸術性へと繋がる新たな心的システム論になると考えています。才能(応用力)豊かな方はここから多くのアイデアを得ることができると思います。また哲学が何のために何を考えているのか分からない一般の方向けに理論の応用例としてコラムも充実していく予定です。

定期的にシラバスのようなものを出したいとは思っておりますが、明確にタームを区切る活動ではないので、お約束できるものではありません。

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Q_22.哲学を学ぶには何を読めば良いですか?
A_22.
まず「学ぶ」ことは必要でも大切なことでなく、ルールがあるわけでもないことを確認して下さい。学習が誘因になっているうちは単に教養を詰め込んだコンピューターになって終わってしまうことでしょう。必要なこととは『考える』ことであり、学習とは考察に付帯するオマケのようなものです。おそらく哲学に従事している多くの方が学ぶ以前にカントからメルロ=ポンティあたりまでの結論だけなら自身で見出しているはずです。自分で抱いた命題に対して、懐疑心を抱いたり論述の過程をゆたかにしてプレゼンテーションしたいと思った時に初めて学習へと移行する理由が発生します。その段階までくれば自ずと「読むべき」と思えるものがご自身で見つけられると思います。

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Q_23.トレードマークの意味は何ですか?
A_23.
このマーク「ic01」は"metaforce iconoclasm"の頭文字をブレードのように図案化したものです。あらゆる構造や概念の枠組みを切開し、心を摘出すること(metaforce iconoclasm)は、心の創造(刃による)であることを意味しています。「™」と付すべき位置にある"ic"の意味はイコンになります。営利活動ではないのでマークの主張に「™」は使えません。汎用性と印象性を考慮して、これをメインのマークとして使用しています。

またこのマーク「 ic02 」はシステム論の三位一体性を意味しています。それほど積極的に使用しない理由はトリアス(三位一体論)によるシステム描写に限界を感じているためです。

なお「metaforce iconoclasm」のmetaの"t"がクロスになっているわけは、開設当初のWebデザインがそこを座標軸のゼロポイントとしてフレームが切られていたなごりです。宗教をターゲットにしている意味もありますが、機能的な意味もありました。

マークの主張は『基本情報』内の『 ic is icon. 』をご確認下さい。

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Q_24.マークやロゴがあるのはイコノクラズムに反していませんか?
A_24.
私が矛先を向けている対象は思想らしい思想もないままに意味内容の伝達可能性を謳ってしまえるような似非教育者や似非芸術家などであって、相互確認の際に介在する契機までをも否定しているわけではありません。これも詳しくは『序文_誘因』をお読み下さい。

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Q_25.「〜」について論じてほしいのですが?
A_25.
研究テーマのご提案は歓迎・感謝いたします。即答はできませんが、いずれコラムやレポートを書く際に役立たさせて頂きます。宜しくお願い致します。

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Q_26.レポートの英訳はないのですか?
A_26.
英訳ページを用意する予定は今のところありません。『基本情報』のサイトスペックで必須言語を「日本語」としているのは、当HPが外面ではなく自己への野心であることを意味しています。また盗み、利用する才能をもった方々へのアイデアのアーカイブであることが研究室の本来的な有り様ですので、「為す」ことよりも『考える』ことに重点をおいています。私は日本語にしか精通しておりませんので、無理な英訳は行いません。ご了承下さい。

また既に英訳不可能な箇所も多くありますので研究途上の現段階で言語問題に捕われることは当研究室にとって得策ではありません。

言語記号以上に意味は豊穣な世界であることを知って頂きたいと思います。芸術家(人)とはそれを知る者であると言っても言い過ぎではありません。

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Q_27.学会には属していますか?
A_27.
属しておりませんし、属する予定もありません。何かのためになることなく向上していくことが『人類』のプロフェッショナルといえます。人の営為のすべての本質は自己確信にあります。

△ CONTENTS 
 

 

2005年12月1日
ayanori[高岡 礼典]