(*) 拙論『オルガスム』参照。
足を組む仕草。伸ばした腕で自身の肩を包み込む仕草。それらの足や腕の交叉場面は単なる自己知ではなく、肌を自己超越的に観察把持している。それが胎感のように内部確保に成功している場合は、内感と外感が同一の肌を指し示し、二重の感覚によって、ひとつの肌が同定される。母の腹部表面とは「内外の同一体」を意味し、過激な形而上学を要求している。 >> 次論『懐胎と分娩 2』へ続く。