芸術性理論研究室:
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11.13.2008
METAFORCE ICONOCLASM VOLUME.4-3.3
せめて、腕の中で、
 

それが避けられない出来事ならば、せめて腕の中で引き取らせてほしいと思います。言葉なく出会い、言葉なく先にいってしまうのならば尚のこと、片想いの最後は相愛の偽法で、なだめ去ってほしいと思います。気息が止まり、ぬくもりが変わり果てる瞬間を抱擁できるのならば、私達は別辞なき死別が残すプログラムから、ほんの少しだけ距離を置けるかもしれません。このコラムは主に「動物と人の別れ」の場合に有効な、ひとつの理想制作になります。

抱擁と被抱擁は分け隔てる地(面)の不在によって、自他同一的な相愛の構造的形而上学を構成する没関係になります。それは「AとB」ではなく「Bを抱くA」になります。決して「Bを内包するA」ではなく、同化を果たした「A'」でもありません。「ひとり」と「ひとり」による「ふたり」ではなく、「ふたり」自体を単位とする生きる存在です。抱擁する者は被抱擁者を傷付けず、壊さない『程度』の力で引き寄せ、包み込むことによって他者の重心を奪い、先行する自己のそれと浸透化させ、新たな重心を再構成します。被抱擁者は抱擁者の営為へと字義どおり「身を委ねる」ことによってコミットメントを企て、『寛容』によって抱擁者の不自由(他者)を低減させ、「間」のない弁証法を形作ります。視覚的認識による「複数・ふたり」は、触覚的認識による占有域の単一化によって、その裾野を集束され「単数・ふたり」となります。ここまでは、当研究室HP内テクストのいたる箇所で論じていることなのですが、次にこの場面を生きる抱擁者が被抱擁者を亡くしてしまった場合の続きを見てみます。

まず、多くのシステム論や科学思想が無限還元による連続制作を前提にしているため、作動停止の描写に関して消極的であることを認めなければなりません。「論」や「理」は概念域にある(からの)文字列になるので、実在論を含むような経験論を描写原理にしたとしても、有効性はそれ自体の形而上学にとどまります。この「生きている限り終わらない」という心の実様相が概念把持という形式性を含み持つことによって、「他者の死」は『他者の系』を停止させられず、対応関係の欠落が対自的な『遺族の悲しみ』となって創発懐念を継続していきます。『もしも彼/彼女が生きていたら、どんな年輪を重ね、なにを言ってくれるのだろう』と想いだけが募り、悲しみは時間の経過や忘却などといった無責任へ強度逓減を委ねざるをえなくなります。これは芸術性なき他者への無礼になるので、「他者の死の理解」が必要になります。少なくとも自らを芸術家と称したい者には必須項です。

そこで本題へ戻り、方途を探ります。抱擁者と被抱擁者が重心共有の段階へ至っているのならば、半必然的にある程度の「ながい時間」の経過があるはずです。それは表皮間における熱伝導の平衡を意味し、抱擁の位置関係同様に、触知的にも『相愛』を構成します。しかし厳密には没境界の共有ではなく、曖昧にとどまらせ続ける僅かな差異があります。この例題で抱擁者が抱く対象を「被抱擁=者」として形容している以上、抱かれる者は「生きる他者」であり、呼吸という連続(断続)挙動によって抱擁者へ干渉をやめない社会的他者になります。特に猫や犬を抱き上げた場合は、それが良く分かります。彼/彼女らの平均体温は一般的な人のそれよりも高いうえに、速いリズムで呼吸を繰り返すので、人を抱く以上に不自由(他者)を感じ取るはずです。

腕の中で黙して抱かれ身を寄せる「ちいさきもの」の息遣いを胸元で触知できるのならば、こちらから律動に合わせることも可能です。当人にとって、それがごく当たり前な平常であったとしても、その静かな高速に『そんなに生きいそがなくてもいいのに』と思うかもしれません。ここで抱擁者は抱擁の欺瞞・無力を知ります。触覚的には表面遷移という文脈関係が被抱擁者の呼吸によって残存しているので、「他者のテクスチャー」が充足継続しています。強度やボリュームが重心をメディアにして相互超越・同化しかけていても、呼吸という一点において有生的な境界が二人を分け隔て、相愛認識の手前で、その結文を奪い取ります。この段階における抱擁者が懐念する他者の系は、歩調の違いによって「現前する他者」に逗留しています。

そのため、腕の中での死別は「生」からの『同化』が期待できます。静かに息を引き取る刹那に、抱擁者の呼吸だけがシステム作動の機能・サインとなり、「他者の系」が自己をプラットフォーム化し、被抱擁者が抱擁者とともに生き始めます。変化していく「ぬくもり」は、やがて抱擁者へ死を知らせ、平衡し、生きる死の理解の可能性を与え、涙をあふれさせてくれることでしょう。大切なことは、重心を手放さないように、強く抱きしめてあげることになります。いつまでも。

 

2008年11月13日
ayanori [高岡 礼典]
SYLLABUS_2008