80年代に日本で社会現象になった「機動戦士ガンダム」というロボットアニメーションの続編である「機動戦士Zガンダム」が20年を経て映画化され一連の作品を見直された方は多いと思います。
そこに登場するモビルスーツという総称を与えられたロボットたちは360度を見渡せるモニターの中心にパイロットが座し、操縦桿を握っています。「Zガンダム」が嚆矢ではありませんが、初めてこのアイデアとであった時、とくにエンジニアの方はその斬新さに魅了され、この全方位型モニターの開発に一度は着目されたのではないでしょうか。
そこでこの全てを見渡すことができる乗物の製作を考えてみた時、私達は図面をひく以前にそれが製作不可能であることを知ることになります。それは技術的に不可能であるということではなく、論理的に不可能であるためです。全方位型モニターを備えた乗物はパイロットと乗物自身に対して乗物自体を喪失してしまうのです。ここでは人型ロボットを例にとるなら、その場合、ロボットの腕や足、体はどのように見え、どこから始まるように見えるのでしょうか?これは単純な矛盾です。技術は認知や論理レベルを超えることができないものなのです。
もし仮に360度のモニターを装備したいのならロボットとパイロットとの図式関係を同等のものとして一体一対応化させることによって乗物との距離感を無効化し、擬似的な同一化をはかることによってパイロットが巨大ロボットになったかのように思わせるVR的な環境映像を用意する必要があります。
ここで以下のことを確認することになります。それは私達『人』とは必ず限定されたパースペクティブ・視点をもつ有限の存在であるということです。決して無死角な神的な存在ではないのです。眼球が唯一捉えることができないもの、それは眼球自身なのです。
古代、プラトン(ソクラテス)は真理を「洞窟の比喩」で表現したといわれます。これは太陽や光といった外部のものが普遍真理として絶対的・経験論的に描かれている以上、心的システム論的には受容できないものになっています。私達は真理(自我)が眩しいからそれを見ることができないわけではありません。真理を見ようと振り向いても真理は自己の背後へと無限にまわり込み、決して視覚(認知)領域に入ってこないためなのです。
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