芸術性理論研究室:
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09.12.2005
10.27.2005_Update_頂いたコメントを下段へ追加致しました。[COMMENT]
 

全方位型モニターを装備した乗物は製作可能か

 

80年代に日本で社会現象になった「機動戦士ガンダム」というロボットアニメーションの続編である「機動戦士Zガンダム」が20年を経て映画化され一連の作品を見直された方は多いと思います。

そこに登場するモビルスーツという総称を与えられたロボットたちは360度を見渡せるモニターの中心にパイロットが座し、操縦桿を握っています。「Zガンダム」が嚆矢ではありませんが、初めてこのアイデアとであった時、とくにエンジニアの方はその斬新さに魅了され、この全方位型モニターの開発に一度は着目されたのではないでしょうか。

そこでこの全てを見渡すことができる乗物の製作を考えてみた時、私達は図面をひく以前にそれが製作不可能であることを知ることになります。それは技術的に不可能であるということではなく、論理的に不可能であるためです。全方位型モニターを備えた乗物はパイロットと乗物自身に対して乗物自体を喪失してしまうのです。ここでは人型ロボットを例にとるなら、その場合、ロボットの腕や足、体はどのように見え、どこから始まるように見えるのでしょうか?これは単純な矛盾です。技術は認知や論理レベルを超えることができないものなのです。

もし仮に360度のモニターを装備したいのならロボットとパイロットとの図式関係を同等のものとして一体一対応化させることによって乗物との距離感を無効化し、擬似的な同一化をはかることによってパイロットが巨大ロボットになったかのように思わせるVR的な環境映像を用意する必要があります。

 

ここで以下のことを確認することになります。それは私達『人』とは必ず限定されたパースペクティブ・視点をもつ有限の存在であるということです。決して無死角な神的な存在ではないのです。眼球が唯一捉えることができないもの、それは眼球自身なのです。

古代、プラトン(ソクラテス)は真理を「洞窟の比喩」で表現したといわれます。これは太陽や光といった外部のものが普遍真理として絶対的・経験論的に描かれている以上、心的システム論的には受容できないものになっています。私達は真理(自我)が眩しいからそれを見ることができないわけではありません。真理を見ようと振り向いても真理は自己の背後へと無限にまわり込み、決して視覚(認知)領域に入ってこないためなのです。

 

2005年9月12日
ayanori[高岡 礼典]

 

 

 

COMMENTED BY hiroshi さん

ギブソンのオプティカルフローにも似たテーマですね。オプティカルフローっていうのは、映像の中の特定の点や図形がどの方向に、どのくらい動くのかを示すベクトルです。オプティカルフローを求めることにより、カメラの向きや外界の様子が分かります。

全方位のモニターができるのかどうかということだけに注目すれば、バーチャルリアリティーの領域では、すでに実現されていますよね.ただここでは、モビルスーツの筐体などのことは研究されてはいませんね。(現実ではないから当たり前といえばそうですが)

なにかで読んだのですが。リニアシートを使用しているときの画面はいったん外的な情報がカメラなどのセンサーで取得された後に、デジタル処理され、モビルスーツの運用に必要な情報に変更されたものが表示されているとか書いてありました。宇宙空間なども黒色ではなく、明るい青みがかった色にして、投影しているとかも書いてありました。どんな技術を参考にしているのかわかりませんが、全方位にするメリットは自分で後や下方向を見回して見れることにあると思います。確かに自身の後方は、前方と同時に見ることはできませんが、モニターに表示されている映像を切り替えるよりも簡単に状況を確認できそうです。また、後方の画像をダッシュボードに表示する自動車のバックモニターは後ろを見ているはずなのに、顔は前方を見ているため、左右方向の混同などが問題として挙げられています。なので、全方向モニターは同時に全てを見ることはできないけれども、特定の四角形なモニターで外部の情報を取得するのよりも便利なのかもしれないですね。

ちなみに、ロボットの筐体が表示されていないことについてですが、これについては、私は、ロボットの腕や足を表示するべきだと思いました。もともと、情報を取得しているのは頭部のカメラなどでしょうから、ロボットの筐体が表示されていた方が、操作しやすいと思います。ただし、下方向の確認が困難なだと思います。

代替案として、ロボットの筐体は薄く表示することとして、下方向は別のカメラで撮像したものを合成して使用するのが好ましいのでないかなーなんて思います。

ロボットと、人のスケールの問題や、人の位置(ロボットに対する仮の絶対的位置)は、コクピットがある位置の方が、物理的にも心理的にもいいように思います。人が認知している外的情報は内的な情報として、脳内の短期記憶にあるワーキングメモリー内で実行されていると考えられていますが、このとき、外的な物理挙動と、内的な心的イメージは同じ特性をもって動くと考えられています(実験でも明らかになっているようです)なので、パイロットが乗り込むとき、自分の位置はロボットのこの辺りなんではないか?という記憶がありますから、それと同一にしておいた方が、理解が簡単なように思います。高岡くんの、ロボットと同一になるというアイデアは、より性格に、より細やかに操作する際には、そのような方法がいいと思います。映画のパトレイバー2のオープニングでもそんな感じで操作してますよね。とはいいつつも、アニメーションのなかのお話ですが、だれか作ってくれたらいいなー、なんて思います。

 

RESPONSE FROM ayanori[高岡 礼典]

>「〜パイロットが乗り込むとき、自分の位置はロボットのこの辺りなんではないか?という記憶がありますから、それと同一にしておいた方が、理解が簡単なように思います。」
たしかにその方が「簡単」ですね。 外部情報と認知は有機的なコードによる関係なのでどうとでもなると思いますが。

別のはなしになりますが、哲学には古来より「モリヌークス問題」というのがあります。
これは生まれつき盲目のひとがある程度成長してから開眼した場合、視覚情報を『視覚情報』として認識できるのか?という問題です。
こたえは「できない」になります。
網膜上から得られる映像はどこまでも二次元なので延長性という概念を産む契機が得られません。
だから「四角の触覚」を知っていても「四角の視覚」はそれが何なのかわからないという現象が起こります。
それぞれの外部情報はそれぞれ質が異なるので考えるまでもありませんが、それらをひとつの対象として統合することによって私たちは認識を完了しています。
これが現代認知科学の方がよく実験している認識のコードについての始まりです。

 

 

COMMENTED BY さん

全方位モニターを搭載した乗り物は、モニター表示するために大量データ処理が必要なだけに、視界認知がリアルタイムに求められ、若干のタイムラグがクリティカルとなる現場では採用されていないです。

フライトシュミレータと言うと安っぽいですが、実現されていると思われるモノを見ると、まだまだ人の命を預けるまでの信頼性はないということです。

雄鷹山に墜落したジャンボが物語るように、全方位よりも全体が見れたほうが、より細かくて良いいと思うのですが、いかがでしょう?

 

RESPONSE FROM ayanori[高岡 礼典]

「全方位よりも全体」というのは人の認知映像に見合ったものという意でしょうか。それならそのとおりだと思います。

あと、なにか勘違いしているみたいです。
私は「全方位型〜」を作りたいと言っているわけではないですよ。技術ではなく論理についてのはなしです。
ご確認下さい

 

COMMENTED BY さん

これはまさに理想科学とかおいらが所属していたある会社の研究所なんかでやってたことだよ。

具現化するしないは別として、こういった思想や考え方を仕様に落として無いことに気が付きました。

 

RESPONSE FROM ayanori[高岡 礼典]

哲学(論理)を無視した科学思想にはうんざりしているので、たまにこういうのも書きます。
宜しくお願い致します。

 

 

COMMENTED BY さかもちみちる さん

全方位を見ることができた場合、それはとても便利なことで全てを認識できるようになるか?確かに違うのかもしれないですね。人間の目はある座標からやってくる光の入力値で出力特性が変わるセンサです。カエルの目はある座標からやってくる光の変化(入力の微分値)に反応します。だからカエルにとって静止している世界は「見えてない」訳です。ボク等から見たら不便かもしれませんが、カエルにとっては「動いていないものは無視」「動く小さなものには舌を伸ばす」「動く大きなものからは逃げる」、これだけで十分なのはカエルが絶滅してないことからも問題ないわけで(なにより情報処理がシンプル)。じゃあ逆に人間の視覚特性はカエルより優れているかもしれないが、これで完璧か?人間が生きていくのに必要な情報を取得するには十分かもしれないけど、正しく対象物を認識しているかどうかはカエルの視覚と同じくらいビミョーなのかもしれません。なにか見えてないものがあるのかもしれない。

これを視覚以外に広げて、人間は物事を正しく認識できるか・もしくは思考によって導き出すことができるか?っつーことでしょうか本題は?多分ムリでしょうね。集合無意識?ラプラスの魔?嗚呼、守備範囲外だ背伸びし過ぎ。

ただ、人間の視覚特性に戻りますが実は人間の目は隣の視細胞と繋がっていて、空間的な微分処理の結果を出力結果に混ぜています。白を見ている細胞の隣の細胞が黒を見ていると、それぞれがより白く・より黒く見える訳です。つまり境界線がくっきり見えるようになる。もちろんオリジナルとは異なる情報を人間の視細胞は出力しているわけですが、少なくとも自分の欲しい情報を取得できるように人間の目は進化してきている訳です。だから全てを知ることはできないかもしれないけど、その中で必要なことはいつか知ることが出来るのではないのかと思います。大切なのは目的ではないかと。もちろん限界はあるだろうけど手持ちの道具で何とかする!理系というよりは工学系の考え方です。

 

RESPONSE FROM ayanori[高岡 礼典]

>「だからカエルにとって静止している世界は「見えてない」訳です。」
>「人間が生きていくのに必要な情報を取得するには十分かもしれないけど、正しく対象物を認識しているかどうかはカエルの視覚と同じくらいビミョーなのかもしれません。なにか見えてないものがあるのかもしれない。 」

そうですね。たとえばカタツムリなんかは1秒に4コマくらいあれば連続したものとして認識するといわれます。そのあいだに何があろうと前後の文脈が崩れなければカタツムリにとっては「真」なんです。視覚をもったもの全てに言えることですが。
運動だけではなく色の問題になるともっと大変です。魚や亀は4色性、鳥になると5色性になりますので、もはや人には彼らがどのように世界を見ているのかは想像することすらできません。

>「これを視覚以外に広げて、人間は物事を正しく認識できるか・もしくは思考によって導き出すことができるか?っつーことでしょうか本題は?」
人の有限性が前提になっているので、 アンチラプラスのデーモンですよ。

>「大切なのは目的ではないかと。」
私はアンチテレオノミー(反目的論)主義者なので理解できない部分があります。これは話が大分それてしまいますので、別の機会に譲らせて下さい。