芸術性理論研究室:
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07.31.2008
METAFORCE ICONOCLASM VOLUME.4-2.01
彼女を味わう
 

古来より、職業世界における厨房は男子禁制ではなく、逆に女性が入り込めない場でした。それは雇用機会が平等になりつつある現代においてもなお潜在的に認められている思想です。公的空間では一定を維持する活動でなければ不特定多数から同一のラベリングが与えられないため、当然「メニュー」も、常に「同じ味」を出さなければなりません。レトルトによって作業化されたチェーンストアには無関係・該当しない話になるのですが、独自性を製品差別とする一店舗経営のリストランテでは、訪れた客が、いま食している料理の味を構成・加工している料理長の味覚プロセス全体を一定不変に保つ必要があります。人類は「さじ」や「計量カップ」、時計によって物理的計測された作業時間・単位を発明し、いつでも「同じ味」を出せるかのように調えられてはいるのですが、職人の世界でその程度の曖昧さは許されません。調味料の類や、加工するための道具や技術を一定維持できたとしても、集められた食材が「同じ味」にあるとは限りませんし、「火や水」は時候や気圧によって沸点や浸透率が変化してしまいます。そのため味の同一性を必要目的とする職業的調理は盛り付け段階の手前で、料理長自ら作品の味を確認する場面があります。「さじで少しすくって味見する」ほんの一瞬で終わってしまうお馴染みのシーンは、未熟であるが故ではなく、確かな技術修得に至った者だけが、行為に意味を内包させられる自覚の表れです。

なぜなら味覚は臭覚とならんで、普遍判断が困難な不安定な感覚器官であり、それを一定に維持するには、「人並み」を外れる必要があるためです。味覚の個体発生ひとつをとってみても、そのホメオスタティックな一代記は非情に内容豊かな起伏があり、一概には捉えられないはずです。「成長とともに味蕾が退化していく」や「中枢からの満腹信号」等、それは千変し、与件を固定させたとしても、その「感じ方」は「成熟」なきまま再構成を繰り返していきます。そのため料理長の舌は特化され、重宝されるは、少しの努力でそれを修得できる男性の味覚になります。成熟した健常者としての女性は、月経時に味覚や臭覚の感じ方から認識のあり方、その趣味に至るまで変化してしまうので、「職業的味覚」を得るには、形容しがたい努力・認識力・自律力を要求されることになり、通俗的に女性の料理長は忌避されてきたのです。

 

いつからか、社会における「自己統一」は「不変」を意味し、自己並列的なバリエーション/バージョンを排除してきました。その結果、多くの冗長性を削ぎ落とすことに成功し、私達は「わかりやすい他者」を獲得するとともに、公的空間から「温かさ」を奪い取りました。季節ある味・ゆるやかに流れていく味わいは、女性がつくる家庭だけのものとされ、ひとつのサンクションをも構成してきました。その区別のコードに対して、価値判断の吟味は不問・保留にするとしても、一般に私達が外食に「おいしさ」を感じても、繰り返されていく営為の中で浸透的な心的豊饒へとは至りにくい理由がここにあることだけは書き留めておかなければならないと思います。

当研究室における『心』や『知』のジェンダーは、どこまでも有徴項を超えた『女性』なのです。

 

2008年7月31日
ayanori [高岡 礼典]
SYLLABUS_2008