芸術性理論研究室:
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06.10.2005

テーマ選択について

 

理由のない端的な主張を暴力であるとソクラテス(プラトン)が警笛を鳴らしてから2400年ほどたった現代、民主主義による自由世界はその暴言によって満ちています。まるで反・充足理由律でも唱えているかのように。

趣味的価値はカントが理論付けられなかったように個人の自由に属するものであり、主張といったプロセスを経て、コンセンサスへと高める必要のないもののはずです。主張とは自己の思いつきを他者へと投げ掛け、承認/非承認といったなんらかの根拠を作り出すことによって普遍概念を操作する非自律的な相互作用の全体を指向します。ですからここで投げ掛ける「思いつき」とは理論的詳述の可能性を先行的に約束されたものでなければなりません。これが人間的主張・表現というものになります。

 

「特殊形式」を普遍概念の枠内で謳うは正しいことです。しかし『特殊内容』を謳うは他者にとって考察も言及もできない雑なものでしかなく、それは思考停止を惹起する無意味な社会的行為です。個人の自由で留めるべき事柄を公的空間へと流出させることは非自律的大衆を拡大させるしかないという事実を表現者は知る必要があります。これは自己肯定行為が自己否定の生産にしか繋がらないといった単純な矛盾をおかしているということです。「あれが好き、これが嫌い」と捲し立てるしか能のない者とそれに追従する者のパレードは無限に無為を紡いで行くだけなのです。

 

自己を公的空間における表現者であると定義する者のテーマ選択の倫理とはアンチ・ノミナリズム(反唯名論)でなければなりません。これは社会に個人が存在しないことを再確認して頂ければ容易に首肯できることと思います。

 

2005年6月10日
ayanori[高岡 礼典]