芸術性理論研究室:
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05.22.2008
METAFORCE ICONOCLASM VOLUME.4-1.04
節について
 

前世紀の手法であるカットアップを無意味に受け継ぐような執筆家であろうと、高度な禁則処理による流し込みを可能にするワープロソフト/テキストエディタであろうと、そこで切り分け、改行することができないものがあります。小文字の“ i ”や“ j ”のような例外があるものの、ほぼ全ての文字が接合・交叉構造によって構成されるアルファベット系の文化圏では、あまり出会わないであろう悩みです。当研究室HPで公開されているテクストは、その草稿段階を紙とペンによる手描きの日本語(漢字と仮名)で行なっています。サイトレイアウト同様に左から右への横書きで進められていくのですが、当然、用紙の右端で改行を余儀なくしてしまいます。この時、最後の一文字がきれいに収まる余白があれば、単語ひとつを書き終えていなくとも、問題なく筆を進めていくことが可能なのですが、明滅するアイディアを右手で速記している場合、ペン先で進行方向が隠れているため、余白の幅に気付かず、「偏」は無事に書けたものの、「旁」が書けないことがあります。書き手本人だけが読解できれば良い下書き・エスキースなので、独自の禁則処理を行ないたくもなりますが、当たり前のように「旁」だけを次の行の左端に配するなどということはせず、せっかくしたためた「偏」を打ち消し、改行して書き直すことになります。日本語にとって漢字は最小単位ではない梱包物なので、このようなことが起こっても不思議ではなく、不都合すらないのかもしれません。しかし、「い」や「は」のような単位でありながらも並列構造をもつ仮名・音節文字は、それ自体が分解を拒否しているかのように見えるので、冗談のような悩みの打ち明けを臆してしまいます。

ここから「複合的モナド」などというジャーゴンを設け、ミクロスコピックな形而上学へと論を運ぶことも可能なのですが、禁則処理や改行問題に着目すると、応用しがたい概念がいくつか生まれてくるので、このコラムではターム確保に努め、抽象制作の叙述へと飛躍します。分解拒否の問題に対してみると、日常の私達が特別に気に留めることなく行なっている改行には、何がどのように折り畳まれ、段落化されているのかという疑問とともに「節」という概念が浮かびます。すると、世界には様々な種類の「節・ふしめ」があることに気付けます。文章だけではなく、骨格にも四季にも節があり、観察者による勝手な認識によって「まとまりあるもの」とされ、前景化を押し付けられているのですが、良く見てみると、すべてが同じ「節」という言葉で括られているわけではなく、それぞれにはそれぞれの属性があることが分かり、「節」が類概念へとシフトしていきます。

指や足を折り曲げて「関節」を出現させてみると、前後の骨を繋ぐとともに可動軸であることが観察できます。関節は文節のように骨格の部分ではなく、運動論的な連続性の中で、それ自体が「関節」という単語によって指示される超構造の亜種であることが分かります。にもかかわらず、関節はどちらかに属することなく、両者の運動系に共有され、共有させる特殊な接続詞として描写されます。これは紐の結び目や溶接・接着といった不可動な結節にはない形容です。どうやら物理的構造域では、大きく分けて“ joint ”と“ knot ”の二種の節があるようです。どちらにしてもそれらに共通する点は、前後の順列担体であることなのですが、「文」へと目を戻すと、その共通点を斥け、明確な定義を拒絶します。

文節や段落は、結論的に書き手本人だけではなく、読み手ですら自由に切り分けることが許される消極的な「節」になります。書き手は多くの場合、意味の段階性や通読のリズム・韻をルールとして演出していくのですが、必ずしも、それに従わなければならないわけではなく、また、そのルールに従ったとしても、そのルールがその文節を普遍指示するわけではないので、結局は「なんとなく」を超えられない非整合になります。しかし、そのような「弱さ」の中にも“ joint ”や“ knot ”にはない強さがあります。文節や段落は、その間にある「間」ではなく、その「まとまり」自体を節と呼ぶので、前後無関係に自己を構成します。言語構造という外延は、意味内容という内包域を絶対的に超えられないため、どんなに密な文章を作っても、必然的に語間・行間が生まれ、テクスト理解は読み手の才能を要求してしまいます。それ故に文節構造は無作為にどれかを脱落させたとしても、不都合なく読まれうるので、文節・段落には「自律節」と形容すべき強度があります。

探してみれば、節にはまだまだ様々なものがあると思うのですが、ターム確保はとりあえずここで終わりにします。この終わりはシステム論のシステム論批判を要求し、当研究室においては触覚の節考察への道を開いていきます。

 

2008年5月22日
ayanori [高岡 礼典]
SYLLABUS_2008