芸術性理論研究室:
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04.19.2005

「変化」と原理的同一性について

 

「変わる」は他者の言葉であり、『私』とは変わることなく自己創造しているに過ぎません。観察不可能な同一性の原理によって自己(パーソナリティ)を創り出し、纏うことによって『私』は被観察可能体となり、そこから他者は『私』を外挿します。それを他者内観と思い込むことによって役割期待を表明し『私』へ向かってサンクションを投げかけるのです(*)

しかし自己は創り出された刹那に瓦解、崩壊し、新たな構造(素)を構築(産出)しなければなりません。同一性の原理と理論によって自己創造しようとも、無根拠な制裁可能性にバインドされ、多くの『私』がナンセンスな縮減の隘路へと自己を落とし込んでいきます。もしくは無反省な最適合によって軽々しく『私』を捨て、構造充足に懸命となります。

 

構造変化は必当然的になければならない「事実」です。ただ必要なこととは飛躍を架橋、結節していく体系力があれば良いだけのこと。なぜならそうしなければ意味の記述ができず、虚空の生が待つばかりだから。

過去なき『私』など存在しえません。

過去を引きずることによって『私』は変わることなく、「私」は変わって行くことを知らなければ社会的描写力を獲得することなどできないでしょう。

2005年4月19日
ayanori[高岡 礼典]

 

(*)役割期待とサンクションの描写については タルコット・パーソンズ[1951](佐藤 勉訳)「社会大系論」青木書店1974 44-45頁以下。