芸術性理論研究室:
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02.05.2009
METAFORCE ICONOCLASM VOLUME.4-4.2
破裂の蠢き
 

ガスや火薬といった自爆するマテリアルを利用しないエアーガンの銃口を指や手の平で密閉したまま引き金をひいても、BB弾と呼ばれる球体構造のプラスティック製の弾丸は「発射」せず、弾倉から銃身へ移動した玉が、銃口から地へと自然落下するだけで終わります。ひととこへ閉じ込めた空圧を一瞬間に外界へと開放しなければ、圧は玉へ伝達されず、「力」になりません。BB弾を発射するために圧せられた空気は銃身内部にひろがる細身の容積へと拡散するだけでも、射出力を失ってしまいます。空気による爆発は内外に関する「ひろがり」に較差の形容ができなければなりません。それはまるで空気が空気を知っているかのような、区切られた空圧は外へとひろがる空気全体・環境知を得ているかのような、擬人的空想へと誘ってくれます。

空圧による爆発の脱自は ─相対記述を免れはしないものの─ 差異の大きさによって程度が異なり、場合によっては何ら事件を起こさず、未遂に終わります。そんな、他を前提にする空圧ではあるのですが、「未遂」の場合でも、ひとつだけ出来事を残します。エアーガンの銃口を手の平で覆ったまま引き金をひく未遂は、空圧が銃身内へと拡散・平衡する(力)を感じ取るはずです。 ─実際にはメカニカルな衝撃や音がともなうのですが、ここでは空圧だけに着目します。─ その(力)は単に「風をうける」とは意味が違い、銃口を密閉するという前提があるので、不動の完全反動による緩衝になります。「押されるから押しかえす」ではなく、「何者をも押すことなく圧し、押しかえしを更に押しかえすことなく押しかえす」になるので、手の平は複合的な(力)の応酬を動かずに与件化します。これをここでは『破裂の蠢き』と呼ぶことにします。

空圧を閉じ込め直す遊びは、爆発的脱自が越権的な他(者)依存であることを教えると同時に支配の虚無までをも示唆してくれます。破裂の蠢きは、わずかな瞬きの間に振動を構成するので、閉じ込める者は自己感応へと至ります。それは、自/他浸透的な創世ではあるものの、激しい(力)を発現した他は爆発の事後に跡形もなく消え失せてしまい、自己だけが取り残されてしまいます。触知によってつくられる残留感には他(者)への他(者)による「私」の含意期待が含まれるため、それは被捨象感となり、虚しさは増大していきます。

爆発・破裂は手出しのできない横暴です。不発処理する者は他(者)の挙動全体を自己の内部触覚へと限定することによって帰納化してしまい、自己の未来を無意味化してしまい、未来の第三者との間で取り交わす証拠を失ってしまいます。それは、なすがままになされる、つかの間の他(者)の自由であって、囲む者らは傍観域で事の進行を待つのみに有意味な振る舞いがあります。そこで、あれこれと案ずる必要はありません。爆風さえ避けられるのならば、無害の出来事でしかなく、爆発し続けることはありません。それは変化ではなく、脱自であるが故に爆発は事後に爆発を残さず、新たな「何か」が生まれるだけになります。その「何か」は最早以前を振り返られず、ただ不可逆の出会いの環に巻き込まれ、吹き飛ばした後に残る地(面)をたよりにして「あなた」を引き寄せます。

以上は、卵膜の破裂を形而上学化するための覚書であって、空間の製作・拡張的な爆発とは別の話になります。

 

2009年2月5日
ayanori [高岡 礼典]
SYLLABUS_2008